ホテルニュージャパンは、かつて東京都千代田区永田町(赤坂見附)にあったホテルで、1982年(昭和57年)2月8日の火災を機に閉鎖され廃業しました。そのホテル内にあったのが東京ホテルニュージャパン内郵便局です。このホテルは、藤山愛一郎率いる藤山コンツェルンが設立母体となり、当初は高級レジデンス(アパートメントとも称された)として着工し、その後東京オリンピックの開催や、高度成長期に急増した宴会等のコンベンションの需要の増加を当て込み、建物の北側を除く2/3の部分をホテルに用途変更して1960年に開業しました。その後、藤山コンツェルンが衰退し、愛一郎の長男・藤山覚一郎(大日本製糖社長)に懇請された大日本製糖の大株主の横井英樹率いる東洋郵船が、ホテル業界進出も狙って買収することを決め、横井自ら社長に就任して経営にあたることになりました。横井英樹はホテル経営については完全な素人であり、企業経営についても知見の無い横井の「経営方針」は、人員の整理や経費削減といった法をも無視した徹底した合理化策を行いました。貧弱な防火設備と疲弊した労働環境による従業員の対応不全により、宿泊客の火の不始末を原因とした火災によって、ホテルニュージャパンは死者33人を出す惨事になったことはあまりにも有名です。(ホテルニュージャパンに関してはウィキペディア参照しました)今回の消印はそのホテル内の局印です。
(局の変遷)
・1937年11月11日~1947年4月10日=山王ホテル内郵便局
・1947年4月11日~1961年1月31日=千代田山王下郵便局
・1961年2月1日~1982年2月7日(一時閉鎖)=ホテルニュージャパン内郵便局
・1982年11月15日~=山王グランドビル内郵便局