今回の消印は欧文印の部分印ですが、判読できるのは「ENTINA-MARU SEAPO」です。おそらく「あるぜんちな丸」の船内局印と思われますが、この「あるぜんちな丸」とは南米移民船になります。第二次世界大戦直後までの日本は出生率が高く、政府は人口増加に比べた耕地や雇用の不足を、海外移民により緩和する政策をとっていました。戦後の南米の移住者達には日本政府の比較的手厚い支援があり、戦後の第2次ベビーブームなども重なり約13万人の日本人がブラジルへ移住しました。その後1960年代からの高度成長で移民はその役割を終えています。その移民希望者を乗せたのが「南米移民船」で、下記の3隻が戦後運航されており船内局が開設されておりました。船内局の押印依頼を受け付けていたのかどうか資料がないため何とも言えません。
・ぶらじる丸船内局=1959年6月4日~1970年5月1日
・あるぜんちな丸船内局=1959年7月4日~1970年7月1日
・さんとす丸船内局=1961年9月4日=1965年10月26日